詰下段で発掘調査された遺構(詰側南西より撮影)
詰下段で発掘調査された遺構(詰側南西より撮影)
二ノ段は堀切により詰からへだてられた曲輪です。長さは約45m、幅は最大幅約20mあります。南部には、高さ60cmの土塁が30mにわたり残っていました。発掘調査をしたところ、土塁は幅約3m、高さ1mであることが確認されました。建物跡の遺構は確認されませんでしたが、多量の焼土や炭化物にまじって瓦や土師質土器片、陶磁器片などが出土しました。二ノ段は、詰などから運ばれた土により造られた曲輪と考えられます。
二ノ段と詰の間の堀切には、井戸跡があります。二ノ段で確認された炭化物を含んだ層は、永正5~6年(1508~09)の19代長宗我部元秀の代の落城に関する資料を含むと考えられます。また、ニノ段・三ノ段にこれらが存在するのは、永正13年(1516)前後の国親による城再興時における整地の跡と考えられています。